地球上の人類文明に今まで登場した交易品、交換の品や貿易品として扱われる産物の種類とその詳細について研究してまとめるwikiです。一応認証制ですが申請すればどなたでも編集できます。交易品、あるいは貿易品と呼ばれるものの、網羅を目指していますーー。

交易相場とはある地点(主に街や村)とある地点を結ぶ物品交換である交易において、ある地点の市場のそれら物品の価格や交換レートを、実際に交易する際の売買や交換の目安となる交易の相場として見た際の若干抽象化した用語です。まぁ、要は交易する際のその参考にする相場あるいはもう一段階抽象的にそれら相場をみた際の市場全体での取引を俯瞰した、それらを想定した交易の相場を指す用語になります。早い話、交易をする際の物品の売買や交換レートあるいは取引全体の現況を指している言葉、なのですが例えばゲームであれそこで交易する人にとっては交易相場というものはたった基準価格から数パーセント動いただけでも物品の単価によっては大きく利益など成果に影響するもので、とっても重要なものなのです。また、その数パーセント動いたというその相場の上がり下がりのバイアスだけでも、今後その他の品目も含めてどのように変動していくのか、ということを想定すると、どの物品が連動してどの物品が単独の動きをするのか、といった要素も大いに関係してくることが分かります。つまり、相場というものは色々な要素が混ざり合わさって現況の交易相場があるものなのであって、その個々の品目や価格変動の何パーセント動いた、というバイアスだけでも複雑な要因を統合的に考慮すれば誰でもその後の相場の動きや大きな変動などの相場の「読み」をすることが、可能であるわけです。つまり、相場の動く要因をつかめれば誰でも相場が読める、ということなのですが(例えばの話、みんなが相場が読めてしまったら、特にそのプロで取引する人達は困るじゃないか、という意見もあるかと思うのですが、それはそもそも交易の成り立ちの話にもなりますが交易がそもそも中世近世を通しては主に海路を通る帆船で大きな取引が行われてきた、ということそしてもうひとつは、その移動や商品の積卸を含めた「取引」には何日もかかるといったような間のインターバルの時間、が常にかかったということを考慮に入れなければなりません。そうしたインターバルの時間がかかるから、こそ交易相場がある程度皆に読めてしまっても次個々が特に各々の自分が主体的に取引するまでに何日あるいは場合によっては数週間かかったりするわけで、その間にそれら要因を含めた交易相場にまつわる様々な要因で相場は動的に変動し得る、のです。つまり、「間の」動く時間があるからこそ、例えほぼ全員が相場が読めていたとしてもその間にそれら要因を含めた要因で相場が変動し得るので相場を基準にみた取引にはなんの影響もないわけで、そういう意味では交易相場もひとつの大きなゲームである、ということは言えるのかもしれませんね、話を戻します。)それは皆が相場を読めていても個々の要因で個々の売買でそれぞれ相場が変動し得る、という交易相場あるいはその地点全体での交易がひとつの大きなゲームのようなものである、ということをまず言っておかなければなりません、つまり、皆がルールを知っていてあとはその移動に何日かかかるの前提でそれら個々の売買で相場が変動するのを前提で誰が一番いい相場で売れるのか、というのを簡潔に見れば競っているわけなのですかあら、当然ある地点における交易相場そのものがひとつの大きなゲームである、という見方が非常に出来る、と思います。ちなみに、ある地点と書いたのは交易相場、つまり市場、大きな取引の中心地のある場所それぞれで交易相場は常に違い、しかもそれらが互いの要因の影響を受けながら上手く相互作用的に連動して動いていくため、交易相場といっても地点毎にまったく相場は違うわけです。まぁ、もちろんトレンドや流行による連動性は時代によっては確認できるわけなのですが、それも大きく見て同じような地方にある場合だけですし、そもそもそういった大きな地域で見た際の市場毎の交易相場の連動性を、グローバルな市場、視点、あるいはそれらにおいて常に自分たちの利益を最優先することを、グローバリズム(特に市場グローバリズム)、ともいうわけです。まぁ、今の話はこれくらいにしておいてまた中世近世に戻りますが、交易相場そのものはある地点においてはそこがその地域の大きな交易の中心地である場合はそれ自体それそのものがひとつの大きなゲーム、であるわけです。それが、ひとつの大きなゲーム、だとするとゲームには必ず大きな変動する要因、が必要になるのでそういう意味では(さて、これが今回のひとつの大きな答えですよ〜)ゲーム、交易相場そのものは「フラグ」で動く、ということです。フラグ、というのは何か物事が動くときの、論理的きっかけ、のようなものを指す言葉なのですが、交易相場は何かフラグが起こる毎に大きく変動します。つまり、多かれ少なかれ交易相場をコントロールしたい場合はその交易相場に対するフラグをコントロールすればいいわけで、歴代の利権あるいはグローバリスト達、まぁ要は支配者層ですね〜はその交易相場に対するフラグ、イベントをコントロールすることで市場をコントロールしてきたわけなのです。なんせ、自分たちが支配権を握った上である地点の交易相場をコントロールしてしまえばその地方は押さえてしまうことができるわけですし、もし、そこが世界貿易的に見て重要な地域であれば、当然、その地域からあげくには世界をコントロールできでしまうことになるわけなのです。まぁ、これが近代の市場経済的グローバリストなどの典型的な、というかもっとも基本的なやり口、なのですが、まぁここでそれにとやかく言うつもりはありませんが、とにかく交易相場、そしてそこで起こるフラグ(出来事)をコントロールできてしまえば、誰でもその交易相場、あるいはその市場をコントロールしてしまうことが、可能になるわけです。まぁ、こういうと大抵の人は空恐ろしい印象を受けるのだとは思いますが、じゃぁ、そこで支配者層とは関係のない割と普通の人々が何をやったらいいか、ということになると、何かというとその相場のフラグを知って、それら交易相場の変動を読み、そしてそれに付いていく、ということなのです。グローバリスト云々で言ったのは市場を自分たちでコントロールしてしまうことによる市場全体への悪影響の度合いの話で、決して相場のフラグを知りその交易相場全体を「意識的に」コントロールしてしまうことは悪いこと、ではないのです。意識的にコントロールする、という話はスポーツをやっている人であれば普通に分かる話なのですが常に自分の体や場、その全体をコントロールすることによって一番いい動きを引き出し、最適な結果を得る、という「意識的な」動作はスポーツには不可欠なもので、まぁ、要はそれと同じで交易相場を把握してそれらを意識的に、意識の上でコントロールすることは至って普通のこと、なのです。つまり、要約しますとそれら交易相場の把握にはそこにおけるその出来事、フラグを把握することであって、それができれば交易相場なんて赤子の手を捻るぐらい簡単に把握できるものである、ということがお分かりになられると思います。つまり、フラグを知れば交易相場は簡単に把握できる、ということなのですが、例えばそのフラグとは食糧不足や不作、疫病、好景気、不景気、戦争、あるいはトレンド、流行の底だったりするのですが、とにかくその交易相場における出来事を知ることができれば、その市場を把握し自分の意識の上でコントロールすることができるようになる、というわけなのです。まぁ、それを支配者層で、自分たちだけで意図的に、しかもそれを世界規模でやってしまうのが、近代におけるグローバリスト、といったところで、まぁ、端的にいえば要はそれを行う規模の違い、だけがあるのであって、倫理面でみれば単に、概念の取り違え、あるいはちょっと考え方を間違った、というところであるのです。まぁ、この話はこのあたりにしておきますが、要は交易相場はフラグを把握すえば変動が読める、ということなのです。ちなみに、なんでそこに行きついたのか、という理由について簡単に説明致しますと、そもそも交易相場、あるいは相場というものが原初はどういうものだったのか、ということを想像致しますと、ですねぇ話は太古の昔、原始時代に戻るわけなのですがそもそも通貨などが無かった時代に、どのように物品が取引されていたのか、ということを考えますとやはり大きな石や貝殻などが貨幣として物品の交換の仲立ち、あるいは物々交換の間の埋め合わせ、として機能していたわけなのであって、要は、そうして物と物同士を交換していた時代では等価交換である必要があるわけなのですから、ということはそれそのもののレートは中世近世における物品の単価なのであって、交易相場の相場、というものは実は通貨など特に金属の貨幣が登場してから大幅に変動するようになったもの、なのです。これは、その貨幣の総取引量そのものが物品の取引相場を変動させているから、というようなインフレーションで説明できないこともないのですが、まぁそれは本稿の主旨が変わってしまうので置いておくとして、端的にいえば実際には金属のものなど貨幣がその交換の仲立ちをするようになってから貨幣に対する物品の単価の変動をするようになったので(まぁ、これでも結局上記の説明のものと一緒になってしまいますが)早い話金属などの貨幣が登場するようなってから物品の単価、つまり相場は上下するようになったのです。また、これには少なからずとも帆船など交易のツールで少し離れた街同士でも交易路で結ぶことのできるようになったことも関係しているわけなのですが、とにかく物品のその交易市場における過不足、あるいはその交易相場における貨幣そのもの総量での物品に対する貨幣の価値など、そういった意味での貨幣的要因によって交易相場が変動するようになったのであって、それまでの、特に金属のものなど正式な貨幣が存在しなかった太古の昔などでは、あまり交易相場というものは存在しなかった(まぁ、困ったときはお互い様で何とか助け合いましょう、というのもあったのかと思いますが)、少なくとも大きな変動、あるいはそれも意図的な相場の大きな変化はあまり起こり得なかったのではないか、ということは推測できます。まぁ、正式には通貨や貨幣が存在しない以上、例えそこでの支配者層の人間でもその交易相場そのものを意図的に操作するまでのプレゼンスは得られなかったのではないか、ということが推測できるのが主な理由なわけなのですが、ともかく貨幣そのものがあまり存在しなかった時代には交易相場、というものは存在しなかったのではないか、というように思います。つまりここでの論では金属のものなど貨幣が登場するようになってから、それに対する価値の変動で(そもそも基準となる「通貨」がなければ100%を基準とした交易相場の判定そのものが、あり得なくなってしまいますからね)交易相場が正式に登場するようになったのであって、それまでの金属のものでない貨幣しかなかった時代では、交易相場というものは例えばあるとして100%基準の五分〜二割程度、つまり±5〜20%程度の状態で始まった、といえるのではないかと思います。つまり、原初の状態では交易相場は±5〜20%程度の生物学的根源的な普遍的物質価値の差(要は地球上における人間などの生物が比較的採取可能な資源の総量のこと)があるだけで、それは生物学的なものですから多少のそれらの差異はあるとして、根源的には100%、つまりゼロの状態から始まった、といっても過言ではありません。まぁ、それは一度始まって現代に至るまでしてしまえばどうでもいいことなのかもしれませんが、逆に全てがほぼゼロの状態から始まったのではないか、といえるということは、それらがほぼ全て何らかのフラグ、つまり出来事によって変動してきたのではないか、ということは普通に平気でいえるわけです。まぁ、細かい説明は、ここまでにしておきますが、交易相場とはフラグによって変動する、ということともうひとつは、それら交易相場が原初はほぼゼロ、つまり基準価の100%から始まったのではないか、ということを覚えておいてほしいと思います。

コメントをかく


利用規約をご確認のうえご記入下さい

交易品大全

交易品事典に関する手引き

四大元素別交易品索引

Prima materia

  • ページ2.5?

交易品カテゴリ

一般奢侈品・贅沢品?

高級奢侈品・希少取り扱い輸入品?

債権・金融商品?

交易品大全

開くメニュー

閉じるメニュー

  • アイテム
  • アイテム
  • アイテム
【メニュー編集】

Wiki内検索

メンバーのみ編集できます

メンバー募集!
閉じる
編集者・共同研究者・参加者等お待ちしております。
編集への参加は認証(要SeesaaID・無料)が必要です。読者の方はコメント欄や掲示板などで。共著者としても大歓迎です。興味があれば特に条件等ありません。